麻生 恵子本文へジャンプ                            富山県立近代美術館 学芸員





マントと相倉 玉本奈々さんの作品について 





2007年春玉本奈々さんは、故郷の富山県南砺市平と高岡市で展覧会を開く。平地区は、五箇山合掌造りの山村で、世界遺産としても知られている。その合掌造りの2つの民家を使っての発表だ。玉本さんの民家での発表は、これが2度目になる。2004年には国指定文化財の二つの民家(2箇所同時開催/豪農の館・内山邸、薬種商の館・金岡邸)でも展覧会を開催している。



美術品のためにつくられた、白い四角い箱の中での展示ではなく、人がこれまで住んできた証としての建物に、人のつながりを感じ、強く惹かれる、と玉本さんは言う。確かに、“人の気配”という言葉があるように、今は、もう誰も住んでいない建物なのだけれど、不思議なことに住んでいた人の何かが残っているような気がすることがある。玉本さんは、前出の
2つの民家でも、客間にも、座敷にも、居間にも、それぞれの場所に符合する、それぞれの気配を確認し、融合させながら、自分の世界をつくった。展示にはおよそ不都合に思えるもの ―例えば、狭い天井、畳や床の間、薄暗い灯り― とも、対話を楽しむかのように、空間と向き合っていたことを、憶えている。



玉本さんの美術への意識も、興味深い。幼い頃より、病気がちで、目も悪かった彼女は、「輪郭がぼやけた世界で生きてきた」という。ぼんやりとした色だけの世界。それでも、誰かかは認識できたし、何とか日常生活を送れるよう、努力した。目にみえる世界だけではない、みえない世界から何かをつかもうとする力を、この頃、授かったのかもしれない。そして、中学生になって劇的に視力が快復し、彼女が向かったのが、自分の心の中を形にしてゆく、美術の世界だった。高校、大学と美術系の学校に進むが、テキスタイルデザイナーとして就業し、一旦は作品つくりを中断する。しかし、急病により退職。回復してからは再び作品を作るようになる。以来、テキスタイルデザイナーの経験も活かし、現在の布や糸も素材に用いる、独特の作品を発表している。


玉本さんの作品には、テーマが明快にある。どの作品も、その時々の彼女の想いや状況を物語っている。近作の「マント」は、10代の頃から心の中にあったテーマなのだという。黒い女性のマネキン(首と腕がないトルソ)に赤いランジェリーが付けられ、マントが掛けられている。よくみると、黒と赤を中心に色とりどりの布の塊や絡み合った糸が飛び出るように隆起し、連なっている。なぜだか、ドキッとして、思わず視線を違うところに移してしまいそうになった。



「女の人は、マントのようなものに覆い隠されているから。前はただ黒いイメージだったけど、今なら、このマントをつくれると思った」と玉本さん。彼女にとって、マントは、女性のエゴや本能やプライドが入り混じったものなのだろう。女性は、世間の目を気にしながら、複雑な想いを抱えて生きている。それは私が、玉本さんと同じ、
30代の現代日本の女性だからなのかもしれないけれど、自分をさらけ出したい気持と隠したい気持ちが入り混じった、複雑な感情が見え隠れし、痛々しくも凛々しくもみえる。「今なら」という言葉の通り、抱えているものを確認しながら、作品は生み出されるのだろう。玉本さんの作品は、そんな風に、私の心の中に、率直に入ってくる。


「もっと年をとってつくったら、違うマントになるんですかね」と聞くと、「年をとったら、マントはもういらなくなるから、つくらないと思う」と玉本さんは笑いながら言った。


玉本さんは、作品を形にすることで、自分自身を形にする。展示においても、会場の空気を手繰り寄せ、感じながら、仕上げてゆく。作品と一緒に、自分自身を紡ぎあげるその様を、玉本さんは、慈しんで生きているように思う。相倉の合掌造りでの発表がどのようになるのか、マントをつくった今の玉本さんも、マントのいらない未来の玉本さんも含めて、楽しみにしている。




富山県立近代美術館 学芸員
麻生 恵子